お茶の歴史/宇治茶・抹茶スイーツ・抹茶菓子【京都茶匠きよ泉】

現在の日本緑茶を発明した人物、永谷宗円は、江戸時代、現在の宇治田原町に住んでいました。

お茶が日本に伝わったのは九世紀頃とされています。当時お茶は文字通り「茶色」をしており、その後も「茶」はあまりなじみあるものではなかったようですが、1191年、栄西が抹茶の喫茶法を中国から持ちかえって、禅寺で抹茶喫茶の習慣が始まると、禅宗の広がりと共に日本全国に抹茶喫茶の習慣が広まりました。

これは当時身分の高い人々の喫茶法であり、庶民が口にするお茶は味も粗末な煎じ茶だったようです。この煎じ茶を、緑色「当時の山吹色」の煎茶に変えたのが宇治田原郷湯屋谷の茶農、永谷宗円です。 

江戸時代は、緑色の高級な抹茶栽培は宇治の特定の茶師にしか許されていませんでした。

宗円は法に触れないようにすぐれたお茶をつくって、農家を豊かにしようと考え、抹茶の製法で煎じ茶を作ることによって、茶色のお茶を美しい緑色に変えただけでなく、香りも味も優れた高品質の煎茶をつくり出したのです。

これが「青製煎茶」とよばれ、現在の煎茶の始まりです。

元文三年(1738年)、八代将軍吉宗の時代に、国産を奨励して、初夏に芽吹く新芽のみを丁寧に摘み取り、改良した焙炉(ほいろ)の上で熱を加えながら、手で揉み上げる製法を、約15年もの間研究を積み重ね、現在の煎茶の発明に成功しました。

当時の、好景気に沸く江戸の町にこの青製煎茶を、日本橋山本家にて販売すると、爆発的な人気を博しました。

しかし宗円はこの製法を独り占めにすることなく、湯屋谷の人々に伝授し、そこから、宇治、信楽と広がり他の地域にも製法が伝わって行きました。